箱根の近況と、私の近況

 

またまた久しぶりの更新になってしまいました。

あれから、ここ何日も、箱根も猛暑にみまわれています。
もっとも、猛暑といっても、ここは標高650メートル強のところ。
どんなに暑くても、30度を少し超えるくらいでしょうか。
でも、箱根で30度を超える日がこんなに続くのも珍しいことのようですね。

噴火の方は、警戒レベルは相変わらず3のままですが、
体に感じる揺れは、もうほとんどないし、
立ち上がっている水蒸気も、遠目からは
すっかり元の状態に戻っているように見えます。

ずっとここに住んでいる地元の人にとっては、
こういうことは、時々あるいつものことと言っている人も少なくないようですが、
箱根山の観測を始めたのがつい最近になってからのことだから、
もしかしたら、いろんな数値が驚きの連続なんだろうかと考えたりもしています。

人間にたとえるならば、血圧が普通では考えられないくらいに高いのに、
それが、その人にとってはいつものことというような人を
見つけてしまったようなものなのかな、と思うこともあります。

もちろん、こういう状態が、たとえ3000年間続いていたとして、
それが、これからも同じように続くという保証にはならないし、
大きな噴火にはつながらないということにはなりませんけどね。

ということで、閑話休題。

母が近くに引っ越してきてからというもの、
以前に比べると、年老いた母と接っする時間がとても増え、よく話を聞いています。
すると逆に、いろんなことに気づかされています。

まるで、子供に戻ってしまったかのような母は、
昔のことを、正確に記憶していません。
また、自分の誕生日は言えるけど、自分がいま幾つなのか、
わからないときの方が多いようです。

そんな母と話をしていると、
母は娘である私を自分だと思っていることがあるようで、
とても不思議な感じになることがあります。

私の子供の時の話をしているはずなのに、よくよく聞いていると、
それは、私の子供時代の話ではなく、
母自身の子供の時の話をしていることが、時々あります。

一般的にも、母と娘は、互いに同一視しやすいという話はよく聞きます。
自分と同一視してしまっているから、
互いに相手を冷静に見ることができなくなっているのか、
実の母と娘の確執のような問題も、よく耳にします。

しかし、そんなことを、こんなにもわかりやすい形で
実際に聞かされると、ちょっと複雑な心境だったりもします。

母の表層の意識が混沌としているからこそ、
その奥に潜んでいる潜在意識がハッキリとしてきて、
それによって、まるで私自身に、これまで抱えていた問題の原因を
しっかりと見せつけられているような感じさえもしてくるのでした。

そんな母が、環境を一変して、さらにどんな影響が出てくるか
心配していたところもあったのですが、
この箱根の大自然は、必ずしも悪影響を与えていないようです。

目に見えるところでは、血圧が下がって普通になり、
薬の量も格段に減らすことができたり等、
心身ともに、良い影響を与えられていることも多く、
この箱根の自然に、本当に感謝しています。

なんといってもデイサービスで、本物の温泉に入れるなんて、
本当に贅沢なことですよね。

自然の中で生きること、火山と共に生きること、
いろんなことがありますが、その分、喜びもまた大きいような
そんな思いがたくさん出てきたりもするのでした。


追記:
写真は、うちの庭の薪置き場のひとつです。
何日か前に撮ったものなので、この紫陽花は少しくたびれてきましたが、
箱根では、まだ咲いているところもあるようです。